大判例

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浦和地方裁判所 昭和63年(タ)27号 判決

E事件原告

藤原金男

(以下「金男」という。)

右訴訟代理人弁護士

下平坦

金男補助参加人

梶原晴伍

(以下「晴伍」という。)

梶原康子

(以下「康子」という。)

梶原政勝

(以下「政勝」という。)

梶原小枝子

(以下「小枝子」という。)

梶原孝子

(以下「孝子」という。)

右補助参加人ら訴訟代理人弁護士

塩谷睦夫

E事件被告

M

(以下「M」という。)

右訴訟代理人弁護士

新井藤作

金子包典

E事件被告

梶原嘉列

(以下「嘉列」という。)

E事件被告

梶原和子

(以下「和子」という。)

右両名訴訟代理人弁護士

薄井昭

主文

一  E事件の訴を却下する。

二  訴訟費用は金男の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

昭和六一年四月一八日埼玉県大宮市長に対する届出によりしたMと嘉列及び和子との間の養子縁組は無効であることを確認する。

第二事案の概要

一乙事件は、原告を金男、被告をM、嘉列、和子、梶伸介(以下「伸介」という。)、晴伍、康子、政勝、小枝子、孝子とする養子縁組無効確認請求事件であって、いずれもMを養親とする養子縁組の効力が争われているものであるが、本件は、これら一連の訴訟(AないしE事件)のうち、嘉列及び和子を養子とする縁組についてのものである。なお、関連事件として、当裁判所昭和六三年(タ)第一四号縁組無効確認請求事件(以下「甲事件」という。)があるが、これは、原告をM、被告を晴伍、康子、政勝、小枝子、孝子とする養子縁組無効確認請求事件である。

二金男は、Mを養親とし、嘉列及び和子を養子とする、昭和六一年四月一八日埼玉県大宮市長に対する届出による養子縁組につき、Mに、縁組意思がなかったとして、右養子縁組は無効であると主張する。

なお、関係者の身分関係図は別紙のとおりであり、金男はMの実姉である亡藤原タマエの長男であり、Mには配偶者及び実子がなく、その両親は既に死亡していることから、Mに養子がいなければ金男もMの相続人になるという地位にある。

三争点

1  E事件の訴状副本送達時(昭和六三年四月一四日)以降のMの意思能力の存否

2  Mの縁組意思及び縁組当時の意思能力の存否

第三争点1(E事件の訴状副本送達時以降のMの意思能力の存否)に対する判断

一E事件の訴が昭和六三年三月二七日に提起され、その訴状副本が郵便により昭和六三年四月一四日にMの同居人である和子に交付して送達されたことは、本件記録上明らかである。

二〈書証番号略〉(MのA事件本人調書)、〈書証番号略〉(戸籍謄本等)、〈書証番号略〉(養子縁組届記載事項証明書等)の記載、〈書証番号略〉(「誓約事項」と題する書面等)〈書証番号略〉(養子縁組届記載事項証明書)の記載、証人宇田川満喜子の証言、M(第一、二回)、嘉列、和子の各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、E事件の訴提起に至る経緯及びその後の状況につき次の事実が認められる。

1  Mは明治四四年一〇月二〇日、大分県日田郡で生まれた。

2  Mは長らく金子邦平と内縁関係にあり、同人から東京都江戸川区所在の土地等時価十数億ともいわれる財産を譲り受けたが、金子邦平との間を含め実子がなく、同人死亡後は東京都江戸川区船堀の自宅で一人暮らしをしていた。

3  M(当時七四歳)は、昭和六〇年一一月八日、脳出血のため自宅玄関前で倒れ、意識不明のまま、近隣の人の通報で葛西中央病院に運ばれ、更に三日後の同月一一日、森山病院に転送されて入院した。

4  その頃、近親者への連絡も行われ、甥にあたる嘉列、政勝、金男らが順次M宅を訪れた。そして、その際集まった近親者を中心に、Mの今後の治療及び財産の管理についての話し合いが行われ、その結果、財産については距離的に最も近いところにいる嘉列が保管することとなった。

5  Mは、嘉列の主導で大宮市の嘉列宅に住所を移転の上、昭和六一年一月末頃、大宮共立病院に転院した。

6  Mが大宮共立病院に入院している間に、次のとおりMを養親とする養子縁組届が大宮市長等に提出された。

(一) 日時 昭和六一年四月一八日

養子 嘉列及び和子

届出先 大宮市長

(二) 日時 同年九月八日

養子 晴伍及び康子(旧姓宮野)

届出先 福岡市城南区長

(三) 日時 同年九月八日

養子 政勝及び小枝子(旧姓野見山)

届出先 福岡市博多区長

(四) 日時 同年一一月四日

養子 孝子(旧姓手嶋)

届出先 佐賀市長

7  この間、嘉列及び和子の養子縁組届が提出された後の同年五月には、近親者らが数回にわたって集まり、嘉列らの養子縁組が財産目的ではないことを嘉列に表明させ、財産管理について合意する内容の書面を作成するなどした。

8  こうした中、嘉列夫婦は、昭和六二年一月一三日にMを嘉列宅に引き取った。

9  同年一〇月二日、Mを養親とし、伸介(嘉列夫婦の長男)を養子とする養子縁組届が大宮市長に提出された。

10  右9の養子縁組届の提出と前後して、嘉列は右6の(二)ないし(四)の養子縁組届出の事実を知った。

嘉列は善後策を検討するため、取引先の銀行から新井藤作弁護士の紹介を受け、同年一一月一五日頃、夫婦でMを連れて同弁護士の自宅を訪れた。

11  嘉列夫婦とMは、更に昭和六三年一月二四日頃、新井弁護士宅を訪れ、同日、Mが同弁護士及び金子包典に対し甲事件の訴を提起することを委任する旨の訴訟委任状に署名した。

12  甲事件の訴提起後、金男が伸介等を養子とする養子縁組も無効であると主張して、E事件を含む乙事件の訴を提起し、その訴状謄本が和子に交付して送達されると、嘉列夫婦とMは、昭和六三年四月二四日頃、新井弁護士宅を訪れ、同日、Mが同弁護士及び金子包典弁護士に対し、E事件の訴に応訴することを委任する委任状に署名した。

三ところで、鑑定人須貝佑一の鑑定の結果、証人須貝佑一の証言及び弁論の全趣旨によればE事件の訴状副本送達時以降のMの意思能力の状況につき次の事実が認められる。

1  Mは前述のとおり昭和六〇年一一月八日、大脳左側被殻外側出血のため倒れ、意識不明となり、三日後の同月一一日、開頭による血腫除去手術を受けた。手術後も意識の混濁は持続したが、手術後約四〇日の一二月中旬頃から、やや意識にまとまりが見られるようになった。

2  昭和六一年一月中旬頃よりリハビリテーションが開始され、つかまり立ちは可能であった。同月末頃に大宮共立病院に転院したが、その当時、Mは、運動性の失語と精神活動の低下があり、簡単な会話は理解できていたが、発語は少なく、あっても意味のわからない言葉になってしまう状態であった。身体的には高血圧、右不全片麻痺の状態が継続し、リハビリテーションも続けられ、右手では簡単な動作ができるようになったものの、歩行はできないばかりか、意欲の障害もあって、体位交換をしないため、じょくそうが生じたりし、オムツも着用し、排泄、入浴などは介助が必要であった。日付や場所等について正確な見当はないものの、知人、甥などの親戚はある程度認知可能であった。昭和六二年一月一三日嘉列らの希望による同病院退院前も、簡単な会話は通じるが時に意味不明の言語が混じるといった状態であり、退院後もさしたる変化はなかった。

3  昭和六三年初めから五月頃にかけても同様の状態が継続し、自分の名前、生年月日は言うことができ、季節の感覚も保たれていたものの、日時、年号の見当は障害され、ごく身近な場所の見当は概ね保たれていたが、正確な認識はできない状態であった。また、日常生活は無為で、自発性に乏しく、新聞を読んだり、テレビを選んで見たりする知的活動は殆ど全く見られなかった。Mは、金男が申し立てた禁治産宣告申立事件の事件本人として同年五月に精神鑑定を受けたが、その際には、記銘力テストでは五品目中二品目の記憶保持ができる程度であり、やや複雑な計算は不能で、簡単な数字の逆唱等もできない状態であり、全般的知能及び抽象的思考能力等の低下を示す言動が見られた。

4  Mの心身の状態は、手術から四か月が経過した頃が回復のピークであり、その後は、今日に至るまで右状況は好転せず、かえって高齢のため並行状態から漸次低下傾向をたどっている。

四右事実と前記鑑定の結果及び須貝証言によれば、昭和六三年四月一四日のE事件の訴状送達時、Mは、脳出血及び血腫除去手術の後遺症のため、運動性失語の状態にあり、単に言語の産生困難、失文法により複雑な会話が困難であったばかりでなく、言語を介した思考の過程も影響を受け、論理的、抽象的思考が著しく障害されており、知的活動は低下していて、日常生活を営む上で必要な簡単な会話や物事を理解し判断することはできても、養子縁組のような重要な身分関係を巡る訴訟の意味を理解し、訴訟を追行できるだけの意思能力はなかったと認めるのが相当である。即ち、人事訴訟手続法上、心身耗弱の程度であれば、訴訟能力が認められるが(同法二六条、三条一項)、Mの前記時点での意思能力はその程度にも達しておらず、現在もその状況が続いているものと認められる。

五次に、右判断と矛盾するかのような証拠について検討する。

1  判断時点が違うものの、Mの精神状態について記載された医師作成の書面があるので検討する。

〈書証番号略〉(昭和六一年六月一一日付押木克己医師作成の診断書)中昭和六一年四月一八日当時Mは物事の自主的判断及び決定が可能であったとの部分はその根拠が明らかでなく、前記認定の諸事実に照らし採用できない。

また、〈書証番号略〉(昭和六三年五月一七日付田辺昭二医師作成の精神鑑定書)には、その結論として、右日時当時のMの精神状態につき、「物事の判断力、理解力の多少の障害を認めるが、全く出来ない状態ではないが適当な介護と助力が必要である。」との記載がある。しかし、右鑑定書における前提事実の捉え方は、前記三に認定の事実と異ならないから、右結論部分だけを採用することはできない。

2  〈書証番号略〉(昭和六三年(家)第一一四号禁治産宣告申立事件等審判書)及び弁論の全趣旨によれば、浦和家庭裁判所は昭和六三年七月二二日、Mについての禁治産宣告の申立につき、右田辺医師作成の鑑定書に基づき、心身喪失の常況にあるとは言えず、心身耗弱の状況にあるとして準禁治産宣告をし、これが確定したことが認められるが、右審判におけるMの精神状態についての判断に既判力はなく、また、その前提たる右田辺鑑定書が採用できない以上、右審判書も前記判断を妨げるものではない。

六右四のとおり、Mの意思能力を認めることができないから、E事件の訴は、訴状の適法な送達ができない結果となる。

七当裁判所は、前記三に認定の事実関係等に照らしてMの訴訟委任行為及び訴状送達の有効性について疑念があることから、同人の意思能力の欠如につき、再三その法定代理人の選任等その補正を求めたにもかかわらず、各当事者はいずれも補正しない。従って、右訴はMとの関係で不適法となる。そして、第三者が原告となる縁組無効確認請求事件は、人事訴訟手続法二六条、二条二項により養親及び養子につき必要的共同訴訟となると解されるから、E事件は養親であるMとの関係で訴が不適法であることにより全体が不適法となる。

八なお、無能力者に利益な訴訟行為は有効と解すべきであるとの考え方もあるので、この点について検討する。

訴訟無能力者に意思能力があれば、訴訟無能力者に利益な同人の訴訟行為は有効と解すべきであろうが、無能力者に意思能力がない場合にまで同様に解すべきであるかは多分に疑問がある。

仮に、ごく限られた判断力のある意思無能力者の場合、同人に利益な訴訟行為であって、その趣旨を容易に理解できるものについては有効であると解すべきであるとしても、この場合、有効となるのは、単に利益になることがあるというだけでは足りず、不利益な結果を生じるおそれのないことが必要であると解すべきところ、養子縁組の無効を確認することは養親にとってその養子に対する扶養義務等を消滅させる点で利益であるとしても、逆に養子に対する扶養請求権等を失うこととなり、養子縁組無効確認請求訴訟の提起の委任あるいは同訴訟の訴状の受領等の応訴行為が無能力者である養親にとって常に利益な訴訟行為であるということはできない。とりわけ養親が高齢である場合、扶養義務の否定は養親にとって極めて不利益となろう。そうだとすると、本件訴訟に表れた証拠からはMの縁組意思に疑問があるにしても、本件訴訟が真にMを代理する代理人等によって追行されていることに疑問がある以上、安易に養子縁組の効力の有無を判断することは控えるべきであろう。

よって、金男の右主張は採用できない。

第四結論

以上によれば、E事件の訴は不適法であるから、これを却下することとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官清野寛甫 裁判官田村洋三 裁判官飯島健太郎は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官清野寛甫)

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